丸木美術館に伺いました。- 鍵本 景子のおしらせ
先日丸木美術館に伺いました。とても良いお天気で春ののどかな風景の中で、沖縄のガンジー「阿波根昌鴻さん」の企画展や丸木ご夫妻の絵・スマさんの絵に会いました。
2017年に沖縄の平和祈念公園の展示室で「阿波根昌鴻さん」の言葉や生き方に触れました。その時に撮影した写真と丸木美術館の写真をアップしますね。
5月5日は『おきなわ島のこえ』の後に昨年公開されたドキュメンタリー映画『沖縄戦の図』の上映があります。
https://marukigallery.jp/7620/
昨年この映画を写真美術館で観ました。ちょうど写真家本橋成一さんの写真展の時でした。
本橋さんのポレポレタイムス社に、若い時によく遊びに行かせていただきました。本橋さんの写真録『ふたりの画家ー丸木位里・丸木俊の世界』(現在は『位里と俊』というタイトルで再編集され出版)を今あらためて観ています。
完成真近い「チビチリガマ平和の像」(金城実氏制作)の前での集いの写真。
丸木ご夫妻・金城実さん・チビチリガマの遺族の方々・関係者の皆さんが集まって、三線演奏を捧げたり、語ったり。村人たちに招かれた宴会ではカチャーシーをご夫妻も踊ったりされている写真。
次のページを開くと、チビチリガマの入口の写真。
キャプションは
沖縄・読谷村にあるこの自然壕で、
1945年4月2日、米軍上陸の際に、集団自決。
139人の入壕者のうち、村人84人が亡くなった。
この悲劇が明らかにされるまでには、
40年に及ぶ沈黙の歳月があった。
その写真の左には丸木ご夫妻とチビチリガマの遺族の方々、私もチビチリガマに案内してくれた知花昌一さんの写真。
キャプションは
丸木夫妻は2ヶ月近く読谷村に滞在した。
宿舎にしている民家に「チビチリガマ」の遺族たちが訪ねてくる。
誰もが語り、そして自らモデルをかって出てくれた。
とある。丸木夫妻に挟まれて写る、遺族の皆さんのお顔が晴れ晴れとして、誇らしい感じがする、とてもすてきな写真。
チビチリガマと800m離れたところにある「シムクガマ」そこに避難していた
1000人ほどの方達は全員助かった。アメリカ兵に見つかると酷い殺され方をすると教育されていたけれど、ハワイに移住していた人たちが2・3人いて、アメリカ兵と話をするから、自決をしないでと壕を出て、アメリカ兵と話し、シムクガマに入っていた方達は集団強制死をすることなくガマの外に生きて出ることができた。
同じ読谷村の中。
村人はすれ違う時に、あの人はチビチリガマ、、。
あの人はシムクガマ、、、。
と思わずにはいられなかったのではないだろうか、、、。
40年近くもそのことを語ることができなかった。
彫刻家金城実さんと遺族の方達はそのチビチリガマの前に慰霊のモニュメントをみなで制作。
そして丸木夫妻の『沖縄戦の図』全14点の中の『チビチリガマ』のモデルにも遺族の方達はなる。
その共同作業はとてもとても大切な時間だったのではないだろうか。
『沖縄戦の図』は沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館にあります。
埼玉県東松山市の丸木美術館ではもちろん常設の『原爆の図』も観ることができます。
一度は訪れていただきたい大切な場所。
鍵本景子